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2020年5月27日 (水)

映画『許された子どもたち』公開記念コメント入り予告編解禁!コロナに負けるな! リモート対談リレー開催決定!

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映画『許された子どもたち』が 6 月 1 日(月・映画の日)=異例の平日公開に決定し、ユーロスペース、テアトル梅田他にて全国順次公開となる。本作は 1993 年「山形マット死事件」や、2015 年「川崎市中 1 男子生徒殺害事件」など実際に起きた複数の少年事件に着想を得たオリジナル作品である。『先生を流産させる会』『ライチ☆光クラブ』『ミスミソウ』など、その衝撃的な内容により作品が発表されるたび物議を醸す監督・内藤瑛亮が8年の歳月をかけて構想し、自主映画として完成させなくてはならなかった問題作。本作を制作するにあたり、10 代の出演者を対象にワークショップを開催し、少年犯罪や贖罪の在り様について共に考えを巡らせた。撮影は 2017 年の夏から冬、そして 2018 年春と長期間に渡り行われた。季節による風景の変化や役者の成長を取り込み、作品に豊かな広がりを加えていった。いじめや少年事件という社会問題を通じて、現代に蔓延する生きづらさを鋭く切り取った本作は、観る者の価値観や倫理観を激しく揺さぶるに違いない問題作。


韓国で 2020 年 5 月 28 日(木)~6 月 6 日(土)より開催される第 21 回全州国際映画祭、そして 2020 年 6 月 9 日(火)~6 月 14 日(日)よりドイツで開催される第 20 回ニッポン・コネクションに正式出品されることが決定している。


本作『許された子どもたち』は、内藤瑛亮監督 8 年ぶりの自主制作映画。長い時間をかけて丁寧に作り上げてきた作品に対する熱い思いに賛同した、『血の轍』などで人気を誇る漫画家の押見修造をはじめ、犯罪加害者家族を支援するNPO法人 WorldOpenHeart 理事長の阿部恭子、社会学者でいじめ問題研究の第一人者として知られる明治大学文学部准教授の内藤朝雄、ノベライザーとしても活躍されている映画批評家の相田冬二4名と内藤監督とのリモート対談をリレー形式で紹介されることが決定した。

動画は内藤監督オフィシャル YouTube チャンネル(https://www.youtube.com/user/nainai2662/) にて5 月 27 日(水)から 5 月 30 日(土)に かけてUPされる。


映画『許された子どもたち』コメント予告篇 6月1日公開
https://youtu.be/8l7VeZe8-wo

<リモート対談者4名のコメント>

■押見修造(漫画家) コメント
自分はかつて、みんな死んでしまえ、と社会を呪いたい気持ちを抱えた子供だったが、今は親になった。
この映画を観て、あの頃の自分に自分の子供を殺されたような気持ちになった。とても後ろめたくて謝りたくなった。
自分もまた、心に蓋をして、「こうしなければ生きてこれなかった」と言い訳をして生きてきた人間だから。
それでもこの映画は、どこか愛おしくて抱きしめたくなるような気持ちにもさせられる。


■阿部恭子(犯罪加害者家族を支援するNPO法人理事長) コメント
もし、子どもが人を殺したら―。その事実をすぐに受け入れられる人などいない。本作品では、愛と正義が
問われている。親子関係では「愛」として正当化される支配。社会では、「正義」として正当化される加害者
やその家族に対する嫌がらせ。社会的制裁は刑罰より残酷で終わりがない。多くの人は真実から目を背け、
無責任に少年を追いつめる。少年はどこへ向かうのか。罪から逃げ切れるのか。


■内藤朝雄(明治大学文学部 准教授・社会学者) コメント
「パリの敷石の下は土だ」という言葉がある。この作品は、人間の命は尊いという現実感覚を、パリの敷石をひっぺが
すようにして、いったん、はぎとる。そして人間であるというだけでは虫けらと変わらないという「敷石の下の土」を露出さ
せる。いじめられ体験から跳ね返ってタフになったこの私(加害少年)とか、乳児から育てた我が子に比べれば他人の子
は虫けら同然(加害少年の母)、といった生々しい「土」である。観る者は、この「土」から人間の尊厳に立ち返る道を奥底
から求めずにおれなくなる。


■相田冬二(映画批評家) コメント
息が詰まるような、いまこのとき。
理不尽で矛盾だらけの、いまこのとき。
それでも、どうにかして呼吸する術がある。
それでも、くたばらずに生きのびる方法が残されてる。
忘れるな。おれたちには、映画がある。この映画がある。


<絶賛コメント>

■岩井澤健治(『音楽』監督)
SNS 時代の問題点が見事に集約されている素晴らしい作品でした。
今や誰もが被害者、加害者になる世の中で、恐ろしいのが正義感から加害者になっていることすら気づかない人が多いこと。『許された子どもたち』は人間の醜い部分をえぐり出す、攻めた演出が見事でした!


■足立紳(脚本家、映画監督)
映画を観ている気がしなかった。近所に住んでいるよく知った家族の、見ることのなかった人生を見てしまったかのように、口を開けばその家族に対してつまらない言葉しか出てこない気がして「ああ、、、」と言葉を失う。
少年も母親も父親も他の登場人物も、そして観客も、何かを自覚する間もなく、ひとつの人生のようにこの映画はころがっていき、待ってくれない。


■山下敦弘(映画監督)
"何故、人は人を殺してはいけないのか?”という議題を掲げ、道徳の授業でこの映画を観せたらいいのに。
グロテスクで暴力的で本音剥き出しの清々しい教育映画。


■清水崇(映画監督)
冒頭~ラストまで“悔しさ”“憤り”“悲しみ”に振り回された。 終始、身体中に力が入ったまま...打ちひしがれ、疲労困憊した。自分の小中高生時代にした事、された事、何も出来なかった事が次から次へと思い起こされ...。
あの時のあいつやあの子の顔が脳裏を過って、いたたまれず息苦しくなった。
そして今、小中学生を持つ親として、夫婦として、何と言っていいかわからない位いろいろな感情に掻き乱され、現実での人との様々な向き合い方を突き付けられる思いに駆られた。
こういう映画がもっと商業ベースで作られなければいけない。そして...国や自治体、学校や地域が、親子で観れるようにしなければいけない。
塾や習い事、点数を稼ぐ事なんかより、生きる為によっぽど大切な事。鬱積した感情の吐き出しどころを知らない、 反省の仕方がわからない、全ての子どもと大人へ......
コロナ禍で新たに燻り、膿んだ感情を抱えつつある僕らの化膿した世の中に、内藤監督の集大成的な映画が、自粛・延期を乗り越えて問いかける!


■北川れい子(映画評論家)
内藤瑛亮作品を観るとき、覚悟が必要になる。共犯者になる覚悟。
この新作では不快感を伴う共犯性が更に加速して、罪に問われなかった加害者少年が被害者に思えたり。監督の勇気と野心に脱帽だ!!


■ふみふみこ(漫画家)
どういう目線で観れば良いのか。観ている間、ずっとそれを考えていました。
殺人を犯してしまった主人公の立場にも、その両親、殺された子どもの家族、罪を犯した人をおもしろがり責め立てる周囲の人間やネット上の名もなき人たちにも、どんな人間にも感情移入し、別の立場から見て悲しみや怒りを感じたりします。
「良い」「悪い」というものはなくて、現象がそこにあるだけ。
それを判断するのは個人の価値観だと言えるのかもしれませんが、そうした物言いに潜んでいる微かな狡さすら許さない、そういう映画です。
事実はただ、そのまま受け入れるしかありません。現実とは、いつもそういうものだと感じます。


■たかはしほのか (リーガルリリー)
今、
きみの吸うタバコがぼくのようで
ぼくの吸うタバコがきみのようで
同じ時間にいつでもタイムスリップできるんだ
いつでも、心の場所であえますように。


■唯野未歩子(女優、脚本家、映画監督、小説家)
これは『モンスター』の映画だ。主人公の少年、その両親、友人、先生、学校、法、マスコミ、ユーチューバー、匿名の人々で構成されたSNS社会。そんな彼ら彼女らはなぜ『モンスター』になってしまったのか? という描写はない。ただそういう存在としてそこにいる。そして恐ろしいことに、ここで描かれるすべての『モンスター』は、わたしたちの暮らしのごくそばにいる、誰もが知っているむしろ平凡な隣人である。一方、もっとも人間的であるはずの被害者と、痛ましい被害者の両親、心に傷を負った恋人は『人間』としては描かれておらず、物語にとって必要な役割をになう記号である。社会のひずみが生んだ『犠牲者』という記号だ。こちらも同じく、なぜ『犠牲者』になってしまったのか? ということには触れていかない。おそらくは意図的に。

それともうひとつ、この映画に横溢しているのは『暴力』だ。暴力については、最初から最後までありとあらゆる方法で執拗なまでに繰り返されていくが、緻密な計算がなされていて、物語の発端「主人公が被害者にふるう暴力」では、人命は異様に軽く、まるで幼児が破壊するオモチャのように描かれている。たとえるならばサイコパスが犬猫を殺すような嗜虐性であり、ともすればホラーチックであるのと対極に、中盤以降の「主人公がふるわれる暴力」になると、その描写にはリアリティが追求されている。観ているこちらまで痛みをかんじるような渇いた不条理さで、主人公を打ちのめす。通底しているのは、常に暴力は、突発的であり、理由などないということ。わたしたちが生きている現実の世界にある暴力そのものだ。『モンスター』と『犠牲者』と『暴力』しかない世界。目を背けたくなるようなこんな世界を、監督は執念をもって描いていく。執念。いいかえれば「わからないことを、わかりたいと希求する思い」とでもいうべきか。

しかし映画のなかに「わかった」という感触は、ない。でもまだ希望は、ある。微かな『人間』の兆しのようなもの。それは、主人公の友人・緑夢にあった。緑夢は、主人公にとっては「どうでもいいやつ」として描かれている。仲間ではあるが実行者ではない。傍観者でも、犠牲者でもなく、モンスターでもない。が、たったひとり彼だけが「自分は人間になりたい/モンスターになりたい/どちらにもなれない/暴力を否定し、肯定もする/正直者であるが、裏切り者でもある/被害者であり、加害者である/グレーゾーンにおかれた曖昧な存在=人間そのもの」であり、この事件の起因でもあった。さまざまな思いの揺らぎのなかでひっそりと生きる者。それこそが『人間』であり、すなわち本作の裏・主人公なのだろうと、わたしは思う。後半、緑夢はいう「僕にもっと勇気があれば、樹(被害者)は14歳になれたし、きっと友達になれた」と。その懺悔にも似た悲痛な言葉が発された瞬間、彼はやっとすこしだけ『人間』になれる。はじめの一歩のようにみえる。だからこの意欲作は、わたしが勝手に想像するに、きっと三部作になっていくのだ。今作の絆星は『モンスター』としてしか存在することができない少年の悲劇(と怒り)であり、次は10年後の緑夢の人生(人間であるということ、あり続けるということ)であって欲しい。20年後は恋人・桃子の物語(暴力によって奪われた人間性は、果たして取り戻せるのだろうか)と、そこまで問われたときに、はじめて完結される壮大な物語——監督からの大きな答えが明示されるのではないか。その序章に、わたしたちは、いま、たちあったのである。

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『許された子どもたち』

2020年6月1日よりユーロスペースほかにて
(C)2020「許された子どもたち」製作委員会

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