あの日、欲望の大地で

2大アカデミー女優、シャーリーズ・セロンとキム・ベイシンガー競演!!
愛を渇望し、愛するがゆえに犯してしまった重罪によって心に深い傷をかかえ、愛することを封印した女性が、愛によって希望の光を見出だすエンディングは私たちの心に静かな感動を生みます。

2009年初秋、Bunkamuraル・シネマ、銀座テアトルシネマほかにて全国公開
2008,アメリカ,東北新社
©2008 2929 Productions LLC, All rights reserved.
オープニングシーンは、灼熱の大地で不自然なくらい燃えたぎる炎のシーンから始まります。過去なのか現実なのか時系列が全く分からないまま、主要人物数人によって、複数のエピソードが同時進行していくストーリーラインは、『バベル』や『21グラム』と同様、アリアガ監督お得意の手法。なんだかよく分からない断片的な話ばかりが進行していきますが、それがまた不思議と見るものの心を捉えます。

明らかにトラウマを抱えているであろう自傷癖のある孤独な影をもつ女性が、ゆきずりの情事を繰り返し、非生産的な日々を過ごしている断片と、夫や子供たちに後ろめたさを感じながらも不倫の愛に走る女性の断片。そして、どこにでもいそうな父娘の日常を描いていたと思ったら、父の操縦する小型飛行機の墜落という突然の不幸に見舞われる断片。それらの断片が意図的に挿入され、ストーリー中盤までシーンが交錯しているのです。
いくつもの散らばったパズルの破片が、徐々にひとつの絵を完成させていくようにじわりじわり、そして確実にその姿を現した時、私の心には非常に重たい現実と、哀しい愛の形が映りました。でもただただ悲しいだけではなく、そこにリアルな人間の姿を見ることが出来ます。
この映画における描写で特出すべき素晴らしい点は、自然の荒々しさと人間の本能、欲求をリンクさせているところだと思います。オープニングで激しく燃え上がっていた炎は、不倫愛に身を投じた母の欲望であり、マリアーナの母への愛と同時に嫌悪感の表れであったはず。また、シルビアがポートランドの岸壁に立って海に向かうシーンでは、荒れ狂う波と暗い碧海が、感情を閉じ込めてしまった彼女の心の奥深くを描写しているように思えてなりませんでした。この作品の自然は重要な演出の1つです。
愛という感情がいかに身勝手で、傲慢で・・・・・・、それでも余りある美しさを秘めているものかを感じるとともに、人間にとって愛を失うことは、生きる活力、生命力を失うことなのだと思いました。
エンディングはもう少しみたい!と思わせるシーンでエンドロールが流れますが、観客をそんな気持ちにさせることが、もはや監督の圧倒的な勝利!ですね。






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