ダウト-あるカトリック学校で-

アメリカ演劇界で名だたる賞を受賞している傑作舞台劇を映画化した作品。
人は一度心に生まれた『疑惑』を、証拠も何もないグレーな状態で、どのように白・黒を見極め、『確信』に変えるのでしょうか?その『確信』は果たして本当に真実なのでしょうか?
想像以上にディープで、観賞後に大きな課題を与えてくれた作品です。

『ダウト-あるカトリック学校で-』
配給:ウォルト ディズニー スタジオ モーション ピクチャーズ ジャパン
公開情報:2009年3月7日(土)よりTOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマほか全国にて

1964年、ニューヨークにある厳格なカトリック学校で生徒に人気のあるフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)が、黒人男子生徒と不適切な関係をもっているのではないかとの『疑惑』が、シスタージェイムスの目撃談によって、校長シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)の心を支配していきます。
『疑惑』を持つことは、『神から一歩遠ざかること』。しかし、悪事に立ち向かうためには、一歩踏み出さなければならない。それはいずれ『神のために成す行為なのだ』と校長シスターは確固たる信念を持って、フリン神父に冷徹な眼差しを向け、ことの真相を詰め寄ります。
このときの2人のやりとりはまさにこの映画の最高の見せ場です!!およそ15分間に渡る口論は、一言一言が無駄のない厳選されたセリフであり、緊迫感、緊張感に満ちていて、フリン神父の憤りと時々垣間見える焦燥感、校長シスターの剣幕、正義感、軽蔑、彼女の眼光の鋭さ、そしてその迫力たるや息を飲むほど。
オスカー俳優ふたりの演技での闘いにもぜひ注目していただきたいところです。
さて、私たち視聴者に投げかけられた課題『人間がもつ確信は本当なのか?』という点ですが、この作品はオープンエンディングになっており、フリン神父は罪を犯していたのか、それとも校長シスターの思い込みだったのか? 観る人それぞれに結論が委ねられています。つまり、人間の『確信』など、もともと不明瞭で実に安易な代物に過ぎないということかもしれません。『確かに信じる』ではなく、『確かだと信じたい』という語意の方が近いのかもしれません。何故ならそこに必ず『信じる』という誰かの『意思』が介入しているから。そしてその『意思』こそが人の情思に左右される、もろい不安定なもの。そんな根底の上の確信
など無いに等しいとこの作品から感じとることが出来るのではないでしょうか?

You seem so dupe.
元気がないね
字幕ではこのように意訳されていました。
dupe=ぼんやり者、間抜け、騙されやすい人
He's in trouble.
彼は問題を抱えているんだ
Please leave my son out of this.
息子を巻き込まないで
I never like to say goodbye.
別れは辛い






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