スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師

『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
この 『スウィーニー・トッド』は150年間も人々を魅了してきた、復讐に燃える男の悲劇の物語です。ティム・バートン監督は、ミュージカルのファンではないにもかかわらず、学生時代に滞在したロンドンで初期の頃の舞台を観て、その音楽やホラー映画のようなストーリー性に興味を持ったそう。そんなバートン監督独特の感性と 『スウィーニー・トッド』のオリジナル作品が出会って生まれた、新しい“血に染まるR指定のミュージカル映画”! 好きか嫌いかを決めるのは、あなたです!
監督:ティム・バートン
出演:ジョニー・デップ/ヘレナ・ボナム=カーター/アラン・リックマン/サシャ・バロン・コーエン/ティモシー・スポール
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
配給:ワーナー・ブラザース映画
公開:2008年1月19日
劇場:丸の内ピカデリー1ほか全国にて
公式HP:http://wwws.warnerbros.co.jp/sweeneytodd/

オリジナルミュージカルのファンにとっては賛否両論の作品かも。これはまったく別物と捉える方が無難です。
見どころの一つは、ジョニー・デップが初めて披露する歌声! ミュージカルに初挑戦のデップですが、どんな役をやっても見事に彼の色に世界が染められていくのですから、名実共に認められた超一流のハリウッドスターは違いますね。
はっきり言って、歌がとても上手!というわけではないのに、歌声がセリフと同様にすんなり心に届いてくるのもいい☆
個人的には、このストーリーは映像ではなく、舞台でこそ生きてくる作品に思えてなりません。カメラは、かみそりで首を切り裂くシーンから目を離すことなく、黒が基調の部屋が一気に真っ赤な血で染まるシーンを必要以上に映し出すのです。あまりにリアルで惨いその犯行シーンは、さすがに直視出来ませんでした。
おびただしい流血シーンやサディスティックな行為だけが強調され、復讐心や悲劇の物語という意識が薄れることもしばしば。監督のティム・バートンや主演のジョニー・デップはホラー映画が大好きなようで、彼らの感性の集結を観るような気もします。無残な映像に固執するのはこの映画に必要なエレメンツだから!という監督の意志を感じますが、あいまいにしてもいいもの、リアルにすべきでないものをあえて執拗に映し出すことには、いささか疑問符も。それが芸術だ!と言われてしまえばそれまでですが(苦笑)。
ティム・バートン監督ファンには、これぞ彼のセンスが満ち溢れている!という作品なのかもしれません。とにもかくにも、ティム・バートンとジョニー・デップがタグを組んだら、ストレートに大衆に受け入れられるわけもなく、今回もまた一癖も二癖もある作品に仕上がっていて当然と言えるでしょうね。






久しぶりにお邪魔します。
おとといまで撮影のために(フィンランド)へ行っていました・・・
非常に寒い寒いお国で・・・スタッフ一同後悔のしっぱなしでした。
日本は暖かいですねぇ~(^^)
さてさて、本日さっそく「スウィーニー・トッド」を観賞してきたのでカキコしました。
ティム・バートン監督とジョニー・デップのコンビは、『シザーハンズ』・『エド・ウッド』・『スリーピー・ホロウ』・『チャーリーとチョコレート工場』・『ティム・バートンのコープスブライド』の5回。
今回で最強コンビの6度目になる最新作は、R-15指定。
それは、気の弱い人なら卒倒してしまいそうなシーンが連続するため。
2007年最高興行収入をあげた『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『チャーリー・・・』とは全く雰囲気の違う、悪魔のようなジョニーを観る事が出来た。
しかし、正直あんまり気分のいいものでは無かった・・・
この話が舞台ではじめて上演されたのが1847年。
以降150年にわたり世界の人々から愛され続けてきている。
また、ブロードウェイで初演されたのは1979年。
これからも言えるように、殺人理髪師スウィーニートッドの物語が長期間世界中から愛されてきた理由は、ストーリー展開の面白さや楽曲の素晴らしさ。
そして、登場人物のキャラ作りが明確なことにあるのでは。
無実の罪をきせられ島流しに処され、復習の鬼と化したベンジャミン・バーカーのキャラは勿論、脱出して「スウィーニー・トッド」と名前を変え、フリート街に戻ってきた彼を喜んで受け入れて、昔と同じく2階で理髪店をやらせるパイ屋の女主人ミセス・ラベットのキャラも明確。
映画や物語は中心人物よりも、その周りで絡んでくる人物のキャラがしっかりとしていれば、話の全体にまとまりができ、展開のパターンにも何本もの道が出来て展開しやすいので。
その他にも明確な人物として、「自称イタリア人理髪師ビレリ」・「その助手のトビー」・「役人バムフォード」など。
このように登場人物のキャラが明確な「フリート街の悪魔の理髪師」だが、僕には一つだけ納得のいかない点がある。
それは、なぜスウィーニーがタービン判事の殺害の千載一遇のチャンスを逃した後、彼は急に無差別大量殺人路線に切り替えたのかということ。
その一つは「絶望」だと思う。
一度逃したタービン判事の殺害のチャンスは2度と来ない・・・という絶望。
しかし、チャンスを逃したのは、スクリーンを観ている限り、スウィーニー自身の状況判断ミスによるもの。
そのとばっちりが当時のロンドン市民に向けられたのでは市民が迷惑では・・・?
そんな状況下でスウィーニーによって歌われるのが「救世主」という迫力タップリの名曲なのだが、僕にはどうもそんな動機の説得力がイマイチ・・・?
最後に、はぐれ者を擁護するティム・バートンの信念からすれば、この物語は願ってやまないストーリーであったはず。
しかし、あまりにも有名な原作だけに、(人物造形に手抜き・甘え)は無かったであろうか・・・
スウィーニー・トッドの物語を知らない人がこの作品を観たら、スウィーニーがなぜ無差別殺人者になるのか理解するのは難しい部分があるのでは。
劇中のジョニー・デップの性格とその残虐な行動の間には、どうしても超えられない壁があるように感じたのは僕だけでしょうか・・・?
晴乃さんも言っている様に、この物語は映画というよりも舞台で観賞したほうが良いような気がしますね。
投稿: カーリマン | 2008年2月20日 (水) 18:53
カーリマンさん
大変遅いお返事失礼致します。
全く気づかず、そのままになっておりました。。。せっかく色々コメント頂いていたのに、本当にすみません(><)
フィンランドに行ってらしたんですか?いいですね~☆お仕事で海外に行くのが今の私の夢です(笑)
今はどちらにいらっしゃるのでしょう?!お体に気をつけてお仕事頑張ってくださいね☆
これに懲りず、また遊びにいらしてくださいね!
晴乃
投稿: つちやはるの | 2008年3月30日 (日) 21:36